武四郎が28歳の時に始めて蝦夷地を踏査してから13年目の安政5年(1858)、6度目の蝦夷地が最後の蝦夷地となった。その後は江戸に住み蝦夷地のことを世間の …

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武四郎が28歳の時に始めて蝦夷地を踏査してから13年目の安政5年(1858)、6度目の蝦夷地が最後の蝦夷地となった。その後は江戸に住み蝦夷地のことを世間の …
武四郎一行はベンケヌカナンで折り返し安政4年(1857)6月24日サッテクベツに戻った。この時の踏査では剣淵町や和寒町、幌加内町へは行ってないがアイヌたち …
安政4年(1857)6月20日、武四郎一行は赤茶けた水が流れ込むフレ・ペツ(風連)を通過し、ケネフチ(剣淵川)の合流点まで来た。この剣淵川をちょっと上り調 …
安政4年(1857)6月16日、武四郎一行は名寄川を上るが水量が減り丸木舟では行けなくなり歩いて上った。サンル川も調査に入り峠が見える麓まで行ったという。 …
安政4年(1857)6月14日、武四郎一行は名寄へ向かう途中シュポロの大急流に差し掛かった。ここは幾度となく事故が起きた為、明治43年にスーポロを通過する …