武四郎が28歳の時に始めて蝦夷地を踏査してから13年目の安政5年(1858)、6度目の蝦夷地が最後の蝦夷地となった。その後は江戸に住み蝦夷地のことを世間の人々に伝えるため本を書いた。幕府に提出した「東西蝦夷山川地理取調日誌」を地域毎にまとめた「天塩日誌」「石狩日誌」「十勝日誌」「知床日誌」など多くの紀行本を出版した。それまで独身だった武四郎は42歳で結婚。その後新政府の役人「蝦夷地御用掛」などを務め蝦夷地のために手腕を振るった。「北海道の名付け親」といわれる武四郎は蝦夷地改名時に「北加伊道」などを提案、最終的に「北海道」と決まった。武四郎が明治政府の職を辞してから晩年を神田五軒町に住み、執筆や大好きな旅行、山登りなどをするほど元気だったが、明治21年(1888)に倒れ、6日後に息を引き取った。北海道を愛し、アイヌの人々を愛した松浦武四郎はこうして71歳の生涯を終えた。そして平成30年(2018)に生誕200年を迎える。

最終話 晩年の武四郎 (平成27年12月7日の週放送分)←ここをクリック

解説:名寄市北国博物館 鈴木邦輝氏

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