今から約200年前の文化15年(1818年)2月6日、伊勢ノ国 一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)に、松浦圭介の四男として武四郎は誕生した。
この松浦武四郎が後に幕末の探検家として6度にわたり、蝦夷地を調査した。
安政4年(1857年)に5度目の蝦夷地で天塩川の流域を調査した武四郎は、現在の音威子府村で「アイヌは自分のことをカイと呼ぶ」と教えられ、カイは「この土地に生まれた者」を意味することを知り、「蝦夷地」を北(キタ)の加伊(カイ)の道(ミチ)と書いて「ホクカイドウ」と呼ぶことを政府に提案した。
明治2年(1869年)に新政府はこれを採用、漢字を北(キタ)の海(ウミ)の道(ミチ)とした。
ここから「北海道(ホッカイドウ)」が始まった。

天塩川流域のキャッチフレーズ&ロゴマーク

大河と共に 北へ向かえ

北海道美深町在住 小栗 卓 様 作

                                  京都市在住 芦田 為美 様 作