オノフナイの急流を過ぎたあたりで武四郎の一行はお昼にした。その時武四郎は川原で鉄さび色の重い土の塊を見つけたのだ。それは後に「高師小僧」や「鈴石」と名付け …

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オノフナイの急流を過ぎたあたりで武四郎の一行はお昼にした。その時武四郎は川原で鉄さび色の重い土の塊を見つけたのだ。それは後に「高師小僧」や「鈴石」と名付け …
安政4年(1857)の踏査では豊富町に直接足を踏み入れなかったが、弘化3年、安政3年、5年の3度訪れている。海岸線を樺太へ向かう途中、雄大な利尻山を望む稚 …
準備万端の武四郎は案内役のアイヌと共に丸木舟に乗り込み川上へと漕ぎだしたのは安政4年6月7日のことである。当時の天塩町は流通の拠点であり運上屋や備米蔵、馬 …
武四郎の蝦夷地調査は弘化2年(1845年)から始まり、安政4年(1857年)の5回目でいよいよ天塩川の調査に向かうことになる。 第2話 天塩川と武四郎 ( …